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歌伴奏専門ピアニスト&ウェブライターのmikuraのブログです。

【超長文・随時更新】わたしの詳細プロフィール

歌伴奏専門ピアニスト&ウェブライターのmikuraです。

ここらで一度、わたしがどんな人間なのか書いてみたいと思います。

 

 

わたしの生い立ち

愛媛県大洲市という片田舎で生まれました。

生まれる前は咲いていなかった向日葵が、わたしが生まれたときには咲いていたそうです。

 

人見知りが激しすぎて登園拒否をする幼稚園時代

自宅から徒歩15秒ほどの幼稚園に通っていましたが、とにもかくにも人見知りが激しすぎる子で、母親と一緒に登園するも、門の前でひたすら「行きたくない!行きたくない!」と駄々をこねていました。

 

特にいじめにあっていたというわけではありません。

 

同級生の子からは、母親に向かって「この子全然しゃべらないんだよ〜」と 紹介されていた記憶が未だにあります。

 

相変わらず内向的で不登校にもなりかける小学校時代

小学校に入学してもその内向的な性格は相変わらずなものでした。

ただ、絵を描くことが得意だったので、低学年の頃には、当時はやっていたセーラームーンを書いてちょっぴしクラスの人気者でした。

 

中学年になり、数少ない仲のいい子とクラス替えで離ればなれになってからは、いじめっ子体質の子に軽くいじめられ、不登校になりかけたこともあります。

 

高学年になると、再び仲のいい子と同じクラスになり、徐々に明るくなっていきました。

 

基本的に、同級生にも先生にも反抗的な態度を取ることはなかったので、典型的な「いい子」でした。

 

吹奏楽部に入部し、音楽にのめり込んだ中学時代

小学校高学年の頃に、友だちに誘われて市内の合唱団に入っていたので、中学でも合唱を続けようと思っていたのですが、見学に行くと部員が二人しかいないと言われたので、しょうがなく隣でやっていた吹奏楽部に入部しました。

 

親がやっていたこともあり、「家で練習できるから」という理由でクラリネットを選びました。(当時、心配性かつ潔癖症だったため、学校の楽器を使いたくなかったというのもあります・・・)

 

万年銅賞の超弱小部でしたが、楽器を吹くのがとても楽しくて仕方ありませんでした。

部長を任せられ、後輩からは恐れられるくらいに部活に没頭していました。

コンクール前に顧問に「練習時間を増やしてほしい」と直談判しにいったとき、「そんなに部活バカになるな」と言われ、「教師」という存在に絶望したのもこの頃です。

 

勉強と部活しかしてしていませんでした。

 

相変わらず部活にのめり込むものの、傲慢で不安定だった高校時代

中学が超弱小部だったので、高校は吹奏楽の強豪校に!と思っていたのですが、

 

「万が一部活でダメになったときに潰しが効かない」 

 

と親と担任に大反対され、仕方なく地元の進学校へ。

 

先輩も顧問もいい人で、入部当初は毎日夜遅くまで自主練するほど部活に没頭していましたが、仲が良く尊敬できる先輩方が卒業し、翌年に顧問の先生も変わってしまったことから、わたしの部活への情熱は一気に冷めていきました。

 

やる気のない顧問に文句を言いに部室に殴り込んだり、先輩にガン飛ばしたり、「練習しないなら帰れば?」と言って同級生を泣かせたり、「いい子ちゃん」だったはずのわたしは、気が付けば超問題児になっていました。

 

この頃、入学当初はそこそこトップクラスだった(はず)の成績も目に見えて下がり、

家は両親の不仲に拍車が掛かかり、完全に家庭内別居状態でした。

 

家にも学校にも自分の居場所がないのだと感じるようになっていました。

 

「勉強もしたくないし、音楽を趣味でやっていると思われたくない!」と、音大を目指そうとするものの、「音大行ってどうするの?音楽で食べていけると思っているの?」と親から反対され、一般の大学へ進学。

 

・・・するつもりが、浪人生活を送る羽目に。

 

1日の大半の時間を勉強に費やし、D判定からの軌跡の合格を掴んだ浪人時代

「このお金なんて、ドブに捨てるのと同じだから」

 

と母親から言われていたため、浪人時代は娯楽を断ち切り、交友関係も必要最小限に留め、とにもかくにも起きてる時間の殆どを勉強時間に費やしました。

 

夏頃までは平均して8時間ほど。

お盆を過ぎてからは、あまりの成績の上がらなさに焦って、多いときは12時間くらい勉強していたように思います。

 

自分史上最高に勉強していたのですが、センター試験では全く点数が取れませんでした。

滑り止めの私立に滑り、前期試験も惨敗。

D判定の面接のみの後期試験で軌跡が起き、見事合格。

 

生まれて初めて嬉し涙を流しました。

 

mi-717.hatenablog.jp

 

サークルでの人間関係に疲れ果て、バイトに明け暮れた大学時代

後期試験での奇跡的合格により、入学までばたばたしたものの、憧れの大学生活を送る権利を得ました。

大学でも音楽をやろうと決めていたので、吹奏楽部に入部しようと思いましたが、見学をしてみて、オーケストラサークルに入ることを決めました。

楽器は相変わらずクラリネット

1回生の時、4人いた同級生の中でひとりだけ演奏会に出ることができたため、同回生からのちくちく妬み嫉み攻撃がはじまり、同パート内で左遷されたような状態になってしまったため、一時期休部したものの、2回生のはじめに退部。

退部する前日、OBさんが5時間以上かけて朝まで説得してくれましたが・・・一度決めたことを変える柔軟な思考をその時は持ち合わせていませんでした。

 

その後は、模試の採点バイトと個別指導塾のバイトをかけもちする日々を過ごしました。教育学部だったため、依頼演奏などで細々と演奏活動は続けることができていたので、とても楽しい日々でした。

人生で初めて彼氏ができたりもしました。

誰もが通る道であろう就職活動は、全くもってやる気がなかったのですが、わたしの時代はまだ売り手市場だったため、いくつかの内定をいただき、某民営化した金融機関に就職しました。

 

安定した企業に就職するもうつ状態になり、人生に絶望した社会人時代(超・暗黒時代)

■わずか一ヶ月でうつ状態に。

当時付き合っていた彼氏と遠距離になり、全く知らない土地での生活がはじまりました。

職場には同世代の人がおらず、仕事中も休憩時間も、とにかく「早く帰りたい・・・」と思う日々でした。

 

就職して一ヶ月ほどでご飯が食べれない・夜あまり寝ることができないという症状が見られ始めたため心療内科に行くと、

うつ状態ですね」

と言われました。

ただ、休職するにはあまりに時期尚早すぎるということで頓服的に薬を服用しながら勤務を続けていくということになりました。

 

■休職しても症状は改善せず、人生を放棄する。

しかし、症状は悪化する一方で、遅刻・無断欠勤が続き、有給を使い果たしてしまったため、休職するに運びとなりました。

休職してからは、ひたすら家にこもって寝たりだらだらして過ごしました。

けれども、「これから仕事どうしたらいいんだろう・・・」と悩まない日はなく、会社に内緒で転職活動したり、うだうだ悩んでばかりだったので、症状は以前より悪化し、薬の数も目に見えて増えていきました。

 

当時付き合っていた彼氏にもきつくあたったりするようになり、「好き」という感情がむしろ「執着」のようになってしまって超・重い女になり、ついには愛想をつかれてフラレてしまいました。

失恋とあまりに人生が上手くいかないことで溜まっていたものが爆発してしまい、ある日突然農薬を飲んで自殺を図りました。

身体的には全く影響はなかったのですが、2週間ほど精神病院に半強制的に入院することになりました。

 

新卒で就職した企業は、傷病手当が切れるタイミングで退職し、名実ともに「社会不適合者」となってしまいました。

それでも、「どこかに就職しなきゃやっていけない!」という思いから転職活動をするも、面接こそほぼ受かるのですが、朝起きれない・夜寝ることができないという状態が続いていたため、どこも2週間ほどで自主退職するという日々が続いていました。

 

■高校の後輩の一言で、ぱっと視界が開ける。

面接に受かっても仕事ができない、むしろ仕事自体に行くことすらできない。

同級生は、仕事が辛くても頑張って仕事に行っていたり、結婚して幸せに暮らしていたり、

 

「なんでこんなに人生がうまくいかないんだろう。」

 

毎日そんなことばかり考え、自分を攻める日々が続いていました。

 

ストレスがたまったときは、友だちに電話しまくっていたのですが、わたしのあまりの病み具合に、電話する友達も片手で余るくらいになっていたある日。

電話帳を見ながら、高校時代に仲が良かった部活の後輩君に電話してみようと思いました。

 

恋愛がうまくいかない、仕事がうまくいかないことをだらだらと愚痴っていたのですが、そんなわたしに嫌気が差したのか

 

「じゃあ、楽器吹けば?」

 

と言ってきたのです。

「そういえば、就職してからずっと楽器に触ってなかったな・・・」ということにその時初めて気付きました。

その一言で目の前が明るくなった感覚を覚え、押し入れにしまっていた楽器を引っ張り出していき、少しづつカラオケ屋さんやスタジオで楽器を吹くようになりました。

 

わたしが人生に絶望していた理由は、至極単純なもので、

 

「好きなことをやらず、やりたくないことばかりやっていた」

 

ということにやっと気付いたのです。

ここまで、通算5年くらいかかりました。

 

現在のわたしとこれから

 一時期は「これ以上飲むと記憶障害を起こしますよ?」と言われるくらい飲んでいた睡眠薬も、いまでは全く飲むことなく寝ることができるようになりました。

「寝れないなら、寝なくていいじゃん♪」

ととあるカウンセラーさんにアドバイスを受けたことがきっかけで、睡眠に関するストレスが一気に減りました。

まだまだ毎月の支払いにびくびくする日々ですが、うつの症状はほぼ出ていません。

 

音楽バーで接客をしつつピアノ伴奏をしていたり、

場所を選ばず記事を書くウェブライターをしていたり

のんびり過ごしています。

 

ただ、まだまだやりたいことがあって、

「わたしは本当はどうしたいのか?」

を日々自問自答しています。