mikuraのブログ

歌伴奏専門ピアニスト&ウェブライターのmikuraのブログです。

親が敷いたレールの上を歩く人生の方が幸せなんじゃないか?

その方がある意味「楽」だと思う。だって自分で考えなくていいから。

「親の敷いたレール上を歩く人生なんて~!」というのは飲み屋さんでよく交わされる会話ですが、個人的には、そのレールの上を歩く人生に違和感を感じなければそれでいいと思います。

例えば、親が「あなたは将来医者になってウチを継いでね!」と小さい頃からずっと子どもに言っていたとして、子どもも、「分かった!僕は将来お医者さんになってウチを継ぐよ!」という誓いを立て、医学部に進学して医者になったとすれば、それはとても素晴らしいことだと思います。

何が素晴らしいかって、「親の願望=子どもの願望」になっているから。

とどのつまり、「アイツは親の敷いたレールを歩いてるんだってよ!」とどんなに言われようが、本人がそれを良しとしているならば何の問題もないわけです。

ただ、「親の願望≠子どもの願望」となると、一気に問題は大きくなります。

「親の願望」は、よく「アナタのことを思って…」というこちらの罪悪感をいたく刺激するような言葉にあらわれてきますが、それらは多くの場合、ただの“エゴ”だったりするんじゃないかと思います。

先ほどの例から考えると、

「我が子を医学部に進学させ、医者という地位を得るまでに育てあげたワタシ」

という現実が欲しいがために、小さい頃から「あなたは将来お医者さんになるのよ~!」という固定観念を植え付けているケースもあるんじゃないかと思います。

多分、親が心のどこかで恐れていることは、

「自分が敷いたレールを疑問に持たれること」

だと思います。

その場合、「アナタのことを思って…」といくら言ったとして、「そんなこと知らねーよ!」と一蹴されたら元も子もありません。

そして、同時に、子ども自身も、親の敷いたレールに疑問を持ち始めた時が、一番怖い時だと思います。

アスファルトで整備された道を歩くのと、森の中を歩くのとではどちらが歩きやすいか?と聞かれたなら、その答えは言わずもがなですよね。

「このアスファルトで舗装された道を歩くのは、本当に自分がしたいことなのかな?」

そう疑問に思った時点で、自分の歩むべき道筋に迷いが生じてしまい、時に歩くことさえやめたくなってしまいます。

…それが、大学を出てからの私自身でした。

「良い高校」「良い大学」「良い会社」のスリーステップを踏んで欲しかった親としては、教育学部を出た娘が教員にもならず、はたまた教員免許も取らず(いわゆる“0免”でした)、就職は高卒のひとでもOKな会社に就職したことが非常に納得がいかなかったらしく、怒るを通り越してかなり嫌味を言われました。

そして、私も、これまでお勉強さえ出来ていればなんとかなっていた生活が、一気になんとかならなくなってしまいました。

「大卒なのに、なんで?」

というお決まりの台詞は耳にタコが出来るほど言われました。

ですが、色々と紆余曲折をしまくった結果、ようやく「もういいや!」とここ数年は開き直ることができ、髪の毛を赤くしてみたりして(!)“自分の”レールを自分で敷いてみることをはじめました。

誰かが敷いたレールの上を歩くことが出来れば、ある意味幸せなのかもしれませんが、途中で疑問を持ち始めて、脱線してしまったが故に、「自分でレールを敷く」ことの大変さ、そして楽しさを見出し始めている今日この頃です。